2011年12月21日

土台をもう一度固めてもらわないと怖くて乗れない

(※今回ただの自分メモです)
ふいに連絡があって、普請場が近いからというので、すこし会うことに。

先方言い分。
「こんなに時間がとれなくて、いろいろうまくいってない状態で、
 ずるずるつき合わせるのは申し訳ないと思った」と。
子どもらのこと、仕事のこと、実家がらみ(親せき)のこと…等々、事情を聞く。

こういうわけで、別れよう的ことを言ってしまった。とでも言いたいのか。
でも、肝心な言葉が、何も聞けなかった。
私が必要なのか否か。これからどうしたいのか。
そのうえで、続けるなら、話し合うべきことがたくさんあるのに。

私も、このかん、考えてたことを、3点ほど伝えた。
それで安心しちゃったのか、鼻歌でもうたいかねん様子だったので
「『これで元通り』とか思ってないでしょうね(低音)」と釘をさすと、
決まり悪そうに「…思ってないよ」。

思いのほかすっきりしない。むしろ混乱。
これでただ元通りにされるのは嫌だ。再度保留。


・・・
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2011年05月01日

大地震、当日のこと

ほぼ一カ月ぶりのブログ。
先月のはじめ頃が、いちばん精神的に追い詰められてた。
このとこだいぶ、心身ともに、平常に戻ってきた感じ。

ぼちぼち、マイテーマにも戻っていきたいのだけど、
その前にもうすこしだけ、自分用の記録をつけておきたい。
もう、だいぶ忘れてきちゃったけど。

・・・
3月11日、地震が来たときは、撮影用の買い出し中だった。
うちの最寄りから、電車で15分ほどの駅の、近くの店。

揺れの間は、ほぼ子どものことを考えてた。
子どもは学校にいるだろう。自分はここで建物の下敷きに
なったりしてるわけには絶対いかないので、まずは外に出よう。
でもおばあさんがエスカレーターに両手でつかまって進まない。
つかえてて困るけど、大丈夫かな、みんなこわいよね。
ほかの人に、大丈夫ですか? と声をかけることで、
なんとか自分を落ち着かせながら、店を出た。

外に出ても揺れがおさまらない。みんな道路に出てうろたえている。
子どもの無事を確かめたい、母に迎えにいってもらいたい。
でも携帯電話はつながらない、メールも送れない。
駅には人があふれている、電車が動いていない。
Twitterだけつながったけど、身内はだれも使ってないから、
子どもの安否は確かめられない。焦り。

そんななかでも、ぎりぎりの冷静が、
「今日買わないと仕事まずいだろ」と判断。それも現実。
こわごわと店に戻り、そそくさとレジを済ませ、再び駅へ。
電車は当分ダメそうだ。
歩き出そうとして、同じことを考えたどこかの奥さんと一緒になり、
タクシーに並んだけど、余震は来るし、タクシーも全然来ないので、
一緒に歩いて帰ることにした。

その人と歩いたのは2時間弱くらいだったかな。
さしさわりのない世間話をしながら。
ごめんなさい、お名前はもう忘れてしまった。
不思議な時間だった。あのとき目にした風景が、浮かんでくる。
最初のうちは、歩いてる人はまわりに数人くらいだったのが、
だんだんと、国道の歩道いっぱいに人がぞろぞろと歩いて行く。
写真撮っておけばよかった。

相変わらず携帯は電話もメールもダメ。
一人になって間もなく、公衆電話から家に電話。
子どももうちの親もみんなぶじ。やっと一安心。
親は車で迎えに行こうかと言ってくれたけど、道路は大渋滞、
緊急車両どうすんの? という状態だったので遠慮。

歩き出して約2時間半後、ようやく家に着いた。
私の部屋は、ペン立てがひとつ落ちてたくらい。家中ほぼ被害ナシ。
右足の中指の爪が痛かった。靴にあたっていたらしい。
真っ黒に変色してるのに気付いたのが、ちょうど一週間後。
元の色に戻ったのが、約一か月後。

彼のことを最初に考えたのは、少なくとも揺れがすっかり
おさまってからだった。
そんな自分に、じつはほっとしたのだけど(前科アリ)、
その話をしたら、微妙に傷ついた顔をしていた。(笑)
でも彼も同じだったろう。
自分の子どもらを真っ先に考えたろう。それでいいと思う。

原発事故から一週間は、自分たちの心配しかできなかった。
子どもを学校に行かせたくなかった。
学童は平常通り子どもを校庭に出して遊ばせていたので、
なるべく早く迎えに行ったり、休ませたりした。
準備してた撮影が一日分なくなったので、時間も空いていたのだ。
毎日、Twitterばかり見てたんだったか。
ぜんぜん食欲はなかったけど、平常通り母が用意してくれるので、
無理やり食べていた。動悸がして、眠れなくて、早く目が覚めた。
朝起きるたび、悪夢に引き戻される気分だった。

福島の親せきのことも気になってはいたけど、
自分たちの身がだいじょうぶと思えるまでは、
ちゃんとまともに心配できてなかった。
親せきのことをちゃんと考えられるようになったのは、
翌週くらいからだったか。
それでも状況は一進一退で、自分たちの身に不安を感じると、
福島の親せきのことは頭から吹き飛んだ。
それは仕方ないことだと思ってはいるけど、覚えておこうと思った。

あと思い出したらまたてきとうに書きます。
今日はこれが限度〜。。


・・・・・
この記事は、もしかしたらあとで表ブログに移動するかも。しないかも。
posted by set-miss at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月30日

【メモ】

どんどん忘れてく、そのときどきに、思ったこと。
今日はいつもに増して、思うまま適当に書きます。

おとといのNHK7時のニュースの緊迫感が妙に印象深い。
危険です、という言葉を何度も口にしていた、水野解説員。
みんなをパニックにせずに、でも危険性はなんとか伝えようと、
ぎりぎりの狭間で発言してるように見えた。

私の置き場はへんな場所になってしまった。
住んでるのは千葉だから、最悪のことが起こっても
まだなんとか…と思うけど、
親戚がやたら福島だから、福島のことばかり考えてしまう。
このまま溶融が続いて、どうなってしまうのか。

子供の頃、毎年夏休みになると遊びに行った、福島県の母の実家。
戦争中に、父が疎開したのも、福島県の母方の実家。
守ってくれた場所なのに、東京圏に住む私らが、
福島にひどいことをしてしまった。
と思えてしまって、うっすらと発狂しそうになる。

主に悪いのは、東電。
だけど、その電力一社独占状態(ゆえに正しい報道が行われず
この道筋にいたったと考える)を、ぼやーと見過ごして来た私ら、
日本人全員にも、責任はある。
まあその点については福島に住む人も同じだけど…
しかし、釣り合わなさすぎる、この被害状況。

この馬鹿げたものを次世代に残しては、死ぬに死ねん。
これからはほんとに合理的な(将来まで見据えたという意味で)
クリーンエネルギーをがんがん開発活用されたい。

が、その話に行く前に、いま危険な状態にある福島の人たちから
頭が離れない。
いま「自主避難」とか言って、退避指示をださないのは、
また人災になるんじゃないかと思うから。

お節介なのはわかってる、逃げろと外部から言われることが
現地の人にとってすごく不快なのもわかってる、
それでも言わずにおれない、あとでこの人たちに
健康被害が出て来たとき、黙ってたことを後悔したくないから。
それが自己満足だってことも、わかってる。
たぶん孫さんも。彼の声をReTweetした人たちも。

危ないって思ってても、土地を離れるなんて決断は、
なかなかできるものじゃない。郷土愛の強い人たちだ。
出ろって言われなきゃ、出れない人は多いはず。
それを、本人の意思に任せるようなやり方をするんじゃ
やっぱりだめだと思う。


話がまたちょっと戻るけど、原発事故後何日か経っても、
大丈夫大丈夫というような報道ばかりだったので
かえって恐ろしかった。
そんなとき、NHKのニュースに出た山崎さんが、
危ない可能性をはっきり言及してくれたとき、
ほんとうにほっとした。
以来、山崎さんとか水野さんとか、NHKの科学文化部の
解説員を見ると、わりと自動的に安心してしまう。
たぶんほとんどの人は、エダノにそれを感じたんだろうな。

まだまだ書きたいことはあったんだけど、眠すぎて忘れた。
今日は終わり。


・・・
posted by set-miss at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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